「グッチ家の歴史」

日本では「オールドグッチ」の呼び名で親しい、ヴィンテージグッチ。
バックなどは、日本でもとても人気があり長い年月を経ても今なお愛され続けていますよね。

ジュエルデコでは、『オールドグッチ』ではなく、『ヴィンテージグッチ』としてご紹介いたします。(欧米では、30年から80年前のものをヴィンテージと言います。それ以前をアンティークと言います)

※人気のヴィンテージグッチ

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※グッチのロゴマークとしてデザインされていたファスナーブル

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※ロゴマークとコレクション名が明記されている、ヴィンテージもの

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その歴史は古く、そしていろんな背景があり、今日に至るのです。
その歴史を知れば知るほど、GUCCIの世界にますます魅了されることでしょう。私自身もその一人です。(笑)

 

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1922年、今から約87年前にGUCCIは小さな皮革店を、イタリア・フェイレンツェに開業します。馬用のサドルを主な商品にして、店の片隅にはほんの少しの革のバックが置かれている程度でした。

※創業者グッチオ・グッチ
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創業者の名は、グッチオ・グッチ。

それから数十年の1998年、一族の名前をそのまま店名にした「グッチ」は、世界各国のメイン・ストリートに合計500店を超える店を構え、その年間の売上高は、960億円にものぼる世界ファッションブランドに成長するのです。

※イタリアフィレンツェ本店
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しかし、現在の「グッチ」には、グッチ一族の者は誰一人として関与していないのです。創設者のグッチオ・グッチから、2代目、3代目のロベルト・グッチへと引き継がれる過程で、一族の間に血みどろの対立が生じ、家族で築き上げ、守ってきた「グッチ」は、今や他人の手に渡ってしまっているのです。

そう、現在のGUCCIは、名前のみ「グッチ」であり、グッチ一族のものではないのです。

1947年、バンブーハンドルバックを発表。グッチのトレードマーク第1号の「バンブー誕生」

※のちの1990年代に再度販売されブレイク。写真は復刻版のもの
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1950年代、ストライプのウェビングをモチーフにしたアイテムを発表。

※今も昔も変わらぬ人気の緑×赤のウェビングライン。写真はヴィンテージ
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1953年創業者のグッチオ・グッチの死去により、
※中央2代目アルド・グッチ
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1953年、2代目にアルド・グッチが経営権をひき次ぎます。
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野心あふれる彼は、海外支店を次々にOPENさせ、鞄以外に靴やドレス
の販売もはじめます。

 

※1950年代のグッチ生産部門の様子
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1961年、ロンドン店開店。
のちに3代目となるロベルトは、グッチ家の家訓に従い、6人の子供をもうけます。

※ロベルトと6人の子供達
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グッチ・フランスとグッチ・イギリスの社長を務めるロベルト。
※1960年代のロベルト・グッチ
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トレードマークの「GGロゴ」やジャクリーン・オナシスが愛用して有名になったジャッキーバックが誕生。グレースケリーやオードリーヘップバーンはじめ、ハリウッドセレブの顧客が増え、世界的にグッチの知名度がアップしたのがこの頃です

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日本への進出は、1965年

正確には、1970年アパレル輸入販売会社のサンモトヤマの祖、茂登山長市郎氏が、日本総代理店契約を結び販売を開始します。

茂登山氏は、当時本場フィレンツェで買付けてきたバックなどを、女優達にプレゼントします。彼女たちがそのバックを手にテレビや雑誌に姿を見せることを見込んでのことだった。スターが身につける品に注目が集まるのは、今も昔も変わらぬ心理のようです。

この時、グッチ=赤と緑のウェビングとGGのロゴマークという
方程式が広がり、大ブームへと繋がります。


※1966年にルドルフォ・グッチがグレースケリーのためにデザインしたボタニカル柄。
近年復刻され定番人気になる。写真はヴィンテージ

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1970年代に入るとアルドの野心にさらに拍車がか かり、父の代から続く家族経営の再編と事業の多角化に着手し、時計会社や香水会社を設立。敷居も低い開かれたブランド展開を広げるようになります。

しかし、その一方でグッチ家の面々には不穏な空気が広がりつつあったのです。

その火種となったのが、アルドの息子パウロ・グッチであった。

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1972年、グッチパルファム発足

アクセサリーコレクション展開★
グッチパルファムよりアクセサリーコレクションが展開される。
主に80年代に流通していたようです。その内容は通常のラインと同じものから、オリジナルデザインまで実に豊富です。象徴的な“Accessory Collection”の下の「GUCCI MADE IN ITALY」の文字も70年代では、筆記体で書かれていたようです。ちなみにメインラインとのクオリティの差はほとんどないということです。そんなVintageマニア向けのラインです!!


1982年の役員会議上で、父アルドらと衝突したパウロは、喧嘩沙汰とも言える騒ぎで顔に怪我を負い、格好の新聞ネタとして世間を騒がせ、グッチ一族の混乱のはじまりとなる。

経営をめぐって一族内に抗争は続き、父や息子による訴訟合戦や株式をめぐってのスキャンダルなどにより、一族は「グッチ」を去ることを余儀なくされます。

1983年、ルドルフォ死去。

1985年、マウリッツォ社長に就任。
しかし、マウリッツォの強引な経営戦略は、グループ内や融資者の反感を買い、業績は下がり銀行からの借入金は増えるばかりであった。


※マウリッツォにより、他種類のラインが氾濫した際に
淘汰されたブランドのひとつ。グッチプラス

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1989年、ロベルト、最後の「グッチ」株を売却。
クリエイティブディレクターに就任した敏腕ドーン・メロー女史がブランドの大改革を行う。
※ここから90年代のグッチ快進撃がスタート!

1990年、アルド死去。

1993年、マウリチオ、自分の所有する株を全て手放す。「グッチ」から
一族が一人残らず撤退。

1995年、マウリチオ射殺される。
母オルウェン死去。
パオロ死去。

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1997年、マウリチオの妻パトリチア、マリオ殺害容疑で逮捕されます。

現在「グッチ」には、一族は一人も残っておらず、「グッチ」の名前を商売上での使用は一切禁止されています。

家族によって没落したグッチ家はふたたび、家族をよりどころに事業を再展開しています。


※父ロベルトを中心に家族全員がスタッフとして働く様子

gucci20 ロベルトを中心に、一族の控訴を目のあたりにし、神に仕える道を選んだ長女マリアを除く家族全員で、「フィレンツェの家」という新ブランドで、頑張っているのです。きっとご存じない方も多いのではないでしょうか。フィレンツェへ訪れた際に、足を運んでみてもいいかもしれませんね。

「グッチ」本店からわずか50メートルほどのところに「フィレンツェの家」はあります。
※フィレンツェの家
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ロベルトが自ら、商品のディスプレイを手がけ、かつての重役室からの指示をしていた仕事ぶりとは一転し、小型自動車や列車を使用しての営業に忙しい毎日を送っているそうです。

本当のグッチマニアの間では、1980年代までのグッチを本物とし、ビンテージグッチにその価値を求めている人も多いそうです。グッチは他社と比較して根強いビンテージの人気があるのは、そのためかもしれません。

グッチ家没落後、「グッチ」を買ったのは、アラブ資本。つまり、今より昔の「グッチ」が、より本物の「グッチ」と言えるのかもしれません。

 

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※参考文献・画像文章引用
・NHK出版「グッチ家失われたブランド」
・交通タイムス社 「GUCCIスーパーコレクション」